鮨匠 齋藤利雄の歩みは、富士山のある山梨で始まった。 三男として生まれた斉藤は、家族の期待に応えることなくキャリアを積んでいった。 18歳のとき、明確な目標もなく、何の訓練も受けずに上京し、寿司職人のもとで働くことになった。
最初はこの仕事が好きではなかった。 彼はその仕事に面白みを見出せず、別の魚を解体するのをマスターするたびに、辞めようと考えた。 しかし、彼はその仕事を続けるうちに、少しずつ師匠の才能を尊敬し、常に次のレベルへ挑戦する気持ちを持つようになった。 変化を恐れず、ニューヨークで6年以上、NOHOのグルメたちに鮨を提供し続けた。 再び新しいものを求めて東京に戻り、かつての上司である中澤啓治と再会し、四谷の「寿司庄」で師匠のもとで働き始める。
寿司の弟子が親方のことを「親方」と呼ぶが、これには「親」と「道」という字が含まれる。 この人は、弟子のために道を示してくれる父親のような存在であることを意図している。 斉藤は、親方からお客との接し方、本当の意味での「おもてなし」について多くを学び、一緒に働く仲間を家族のように大切に思っていたというから、そのことがうかがえる。 そして、斉藤が独立する際には、中澤がお客さんを紹介してくれたというエピソードもある。
VISION今後のビジョンを尋ねると、「未来の寿司職人をたくさん育てていきたい」と無邪気に語る斉藤。 自分の料理をきっかけに、寿司職人の道に進む人が出てきてほしい。 すでに自分の店を持った弟子2人のことを話すと、誇らしげな笑顔がこぼれた。 寿司職人は料理学校から生まれるものではない、師匠に弟子入りしてこその職人である、と。 魚をさばいたり、包丁を握ったりするのは、まだまだ最初の一歩ではありません。 親方、食材、お客さん、そして空間に対して敬意を払うことから始まるのです。 掃除して、観察して、コミュニケーションして。
自分の寿司屋については、今まで通り、あらゆる料理の店を食べ歩き、インスピレーションを得て、手を加え、変化させていくと斉藤さんは言う。 今のお気に入りは、地元の店で新鮮な牡蠣を一皿食べながら、スパークリングや白ワインを飲んで一日を振り返り、くつろいでいる。
食事や体験を振り返ると、最初に入ったときに目に入った書の絵は、寿司屋の雰囲気だけでなく、シェフの人柄を表しているように思える。 安らぎと楽しみを与えてくれる「鮨處 さいとう」は、本当に楽しい食事体験です。

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