デカン、ナルマダ川以南のインド南部半島全体、中央部に高い三角形の台地があることが特徴。 サンスクリット語のdaksina(「南」)に由来する。 東西はガート山脈に囲まれ、南端は険しい山地となっている。 北端はサトプーラ山脈である。 デカン高原の平均標高は約2,000フィート(600メートル)で、おおむね東に向かって傾斜している。 ゴダヴァリ川、クリシュナ川、カーヴェリ川が西ガーツ山脈からベンガル湾に流れ込んでいる。
デカン地方の初期の歴史は不明瞭である。 先史時代に人が住んでいた形跡があるが、灌漑が導入されるまでは降雨量が少なく農耕が困難であったはずである。 この高原の鉱物資源をめぐって、マウリヤ王朝(紀元前4〜2世紀)やグプタ王朝(紀元前4〜6世紀)をはじめ、多くの低地の支配者が争うことになった。 6世紀から13世紀にかけて、チャールキヤ朝、ラストラクータ朝、後チャールキヤ朝、ホイサラ朝、ヤーダヴァ朝が相次いでデカン地方に王国を建設したが、近隣諸国や反抗的な封建者との紛争が絶えなかった。
1347年、イスラム教のバフマニー朝がデカン地方に独立王国を建国した。 バフマニーの後を継いで領土を分割した5つのイスラム国家は、1565年のタリコタの戦いで力を合わせ、南方のヒンドゥー帝国ヴィジャヤナガル(Vijayanagar)を打ち破った。 しかし、5つの後継国家は、その治世のほとんどにおいて、1つの国家がこの地域を支配しないように、また1656年からは北方のムガル帝国の侵略を防ぐために、さまざまなパターンの同盟関係を形成していた。 18世紀のムガル帝国の衰退期には、マラーター家、ハイデラバード公、アルコット公がデカン地方の支配を争った。 その結果、デカン地方は徐々に英国に吸収されていった。 1947年にインドが独立すると、ハイデラバード公国は当初抵抗したが、1948年にインド連合に加盟した
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